仲村秀一郎

【ジャマイカ】沖縄県出身者初「米州開発銀行」職員仲村さん 世界超名門大卒エリート集団に食い込んだ「戦略」とは

2019.10.30

沖縄県内から初めて、国際機関「米州開発銀行(IDB)」の職員となった仲村秀一朗さん(32)。この秋からジャマイカ事務所に勤務しています。ハーバード大やケンブリッジ大など超名門大卒のエリート集団に、県内私大卒の仲村さんはどう食い込んでいったのか。ご本人に、日々のお仕事のこと、今に至った「戦略勝ち」について、話してもらいました。

米州開発銀行とは

米州開発銀行は、中南米やカリブ海諸国の経済開発を目的とした国際金融機関で、各国の政府などに融資を行っています。48カ国が加盟しています。

仲村さんは現在、コンサルタント契約の職員として、カリブ海地域の各国政府が共同で行うNPO法人の設立支援を行っています。2040年までに、あらゆる気候変動に対応できる世界初の「クライメートスマートゾーン」や低炭素化社会の実現が目的の法人です。
NPO設立に向けた資金調達を円滑に進めるため、各国の政府や財団とのマッチングを行っています。

「気候変動や防災分野のスペシャリストとして世界の発展に寄与したいです」と仲村さんは息巻いているところです。

狙って組み立てたキャリア

仲村さんの狙いは、一貫していました。

「高校で1年間英語留学→大学で英語専攻→就職で米軍基地内の消防士→JICAの国際協力ボランティア→米州開発銀行」

この一連の流れは「狙って組み立てていった」と自負しています。

さて、これまでの仲村さんの歴史を紐解いていきましょう。

「自分は『沖縄の闇』を体現している」

「自分なんか、正直言って学歴は高くないし、田舎で育ってて情報もないし、父子家庭で育ってて。タトゥーも入ってますしね。『沖縄の闇』を体現したみたいな人間ですよ。離婚までしてますから笑」と卑下して笑う仲村さん。

高校生の時から、バスケやヒップホップなど、アメリカのストリートカルチャー好きが高じて、英語に興味を抱いていました。漠然と「世界に羽ばたきたい!」という思いもあったといいます。

自力でも英語を学んでいましたが、本場の言葉や文化に触れたいと親に頼み込んで普天間高校在学中に1年間、米国オレゴン州に留学しました。
「アメリカでタトゥー入れて帰ってきて。親には即バレました。『アメリカ行かせたの失敗だったな』って、怒られましたよ」

その時入れたタトゥーは「De Corazon」。スペイン語で「心から」。心臓の近くに墨で刻みました。「何事をするにも心を入れていこう」と一人決意した少年が、そこにはいました。

「死」を見つけて

英語の勉強を続けようと大学に入った2年生のある早朝、仲村さんは、衝撃的な光景に出会います。自ら首を吊って命を絶った男性の姿でした。

すぐ警察に連絡。消防も駆けつけました。

素人目にも息絶えていると分かるその姿に対しても、急いで首のロープを外し、一生懸命心臓マッサージを施す隊員。
仲村さんは「人の命を尊重し、救う仕事」に魅力を感じました。同時に、自分の命や生き方を見つめなおす機会にもなりました。

大学在学中、消防士に

英語も消防も両方やりたいと思っていた矢先、アルバイト先の上司から「身内が米軍基地内の消防で働いている」という話を耳にしました。

「こんな仕事があるんだ」

仲村さんは、自動車教習所に行って大型免許を取りにいきました。消防車に乗る自分を想像できていました。

「英語も学べてキャリアアップできるし、思いやり予算を取り戻してやろうという思いもありましたね笑」と当時を振り返ります。

米軍嘉手納飛行場内の消防署で働き始めたのは、大学在学中でした。学校が終わると制服に着替えて、人命救助の最前線に向かうのでした。

「防災」を背負い、世界へ飛び出す決意

消防の仕事は、自分より若い人の死に直面することが多く、心をすり減らす現実があります。「この人はどんな気持ちで息絶えてしまったのだろう」と日々考え、自分と重ねていました。
小さな沖縄の、さらに小さなフェンス内でキャリアを終えることに疑問を感じ始めた時期でもありました。

仲村さんは、次なるステップを求めて自問自答を繰り返します。

決めました。高校生の時から漠然と持っていた「世界に羽ばたきたい」という思いに報おうと。自身の半生で培った「防災」という強みを活かして、世界のどこかで困っている人を助けることに決めました。

ジャマイカ防災で活躍

通信制の大学院で専門性を高め、「発展途上国」と呼ばれる国の現状を知るためにJICA(国際協力機構)のボランティアに就きます。国連などの国際機関に勤めるには「途上国」での実務経験を積む必要もありました。

職種は防災、任地はジャマイカ。

配属先である地方都市の役所同僚と共に、ハザードマップの作成や、防災展の開催など、精力的に動きました。その結果、ジャマイカのモデルケースとして国会議員も視察に訪れ、首都での防災展開催の誘致を受けるまでになりました。

豪邸でのパーティーが人生を変えた

国際機関に就職する場合、通常はウェブサイトなどで空きポジションを確認してエントリーするのが一般的な流れです。しかし、仲村さんの場合はちょっと違ういきさつでした。

ジャマイカの首都・キングストンで偶然出会った男性。彼は米州開発銀行のジャマイカキングストン事務所に勤務していました。

仲村さん「実は国際機関の職員目指してるんですよ」
男性「OK分かったよ。履歴書送って!」

とにかく送ってみました。そこから1カ月の月日が経ったある日、返事が届きました。

男性「ごめん!出張とかで忙しかった。とにかく試験と面接受けて!

時間と場所を指定され、一応試験を受けてみた仲村さん。トイレ掃除でもコーヒー淹れでも何でもいいから、無給でインターンシップさえできればいいと思っていました。

男性「採用します」

仲村秀一朗さん、夢が叶いました。「泣きました」

大事なのは「ロールモデル」があるかどうか

仲村さんは、将来を描くための道しるべ(ロールモデル)が多様であることの大切さを強調し続けます。

沖縄の場合、公務員になるか地元の大企業に就職するかという、主に2つの成功モデルしか描けない場合が多い。これは単にロールモデルが少ないからだと思うんです。例えば東京だと優秀な人も多く、さまざまな場所でさまざまな働き方をしている人が身近にいるかと思います。その差は大きいです」

仲村さんが当初、米軍消防で就職した時もそうでした。

「近くにたまたま米軍消防で働いている人がいたから、僕も『やってみよう』って思えたんですよ。今度は僕が米軍基地内で消防士をしたら、後輩が米軍消防を目指し始めました。選択肢を知らなかっただけなんです」

そして、何度でも繰り返します。

自分みたいなポンコツ人間でも目標を叶えられました。でも、難しいことはしていないんですよ。①やりたいことがある②なる方法を調べる③それをただやっていく-。それだけでした」

たくさんのチャンスを与えてくれた故郷沖縄に強く感謝しながら、カリブ海の真ん中で国際支援に勤しむ仲村さん。いずれは沖縄のキャリア教育にも携わりたいと願っています。

仲村さんのFacebookアカウントはこちら↓
https://www.facebook.com/nakamura.hide.7

(文・長濱良起/One Okinawa)